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■ニューヨークから ニューヨークに在住されている方からのリポートです。
   
●新倉 由久さんからのメール  
 
 ニューヨークを突然襲った悲劇から4日後の9月15日土曜日、私は事件後はじめてマンハッタンに足を踏み入れた。事件直後の数日間は、街には厳戒態勢が敷かれ、交通規制や公共交通の乱れなども激しかった。市内のあちこちで爆弾騒ぎが相次ぎ(結局、すべて誤報であったが)、情報が錯綜し混乱状態であったため、郊外に住む私はそれまであえてマンハッタンを訪れようとしなかった。

この日は交通機関もほぼ平常通りに戻り、月曜日からの金融市場の再開に向けて市当局が立ち入り禁止区域を大幅に削減した。普段に比べて少ないものの、多くの人が街に出ており、一見これまでと何ら変わらぬ平穏を取り戻したかのようであった。
しかしそう思ったのも束の間であった。私は地下鉄の6番線を使って、14丁目のユニオン・スクウェアを訪れた。昨晩までの暴風雨が去って晴れ渡った空の下、その公園には敷地から溢れんばかりの人々が集まっていた。悲しみ、怒り、不安、恐怖…様々な思いを抱えた人たちであった。

公園に一歩足を踏み入れるとまず目に飛び込んできたのは、世界貿易センタービルの倒壊によって行方不明となった人々に関する情報提供を募る、おびただしい数のチラシであった。チラシを貼るための掲示板が公園に入るスロープに沿って設置されてあるのだが、それだけではスペースが足りずに、公園じゅうのフェンスや公衆電話ブースの側面、はては新聞売りのスタンドの外壁や停車している工事車両にまで貼ってあった。
貼ってあるチラシの多くは、家族や友人がパソコンなどを使って作ったものと思われ、行方不明者の写真、名前、身体的特徴、職場、そして連絡先などが簡潔に記載されている。恐らくパーティーの席で撮影されたものであろうか、きれいなドレスに身をまとい、幸せそうな微笑みを浮かべている女性の写真があった。いまは小さな紙切れの上で微笑んでいるだけで、もはや彼女に何も問いかけることは出来ない。そんな人たちの写真が何千と、この公園のあらゆる壁にひしめき合っている。
行方不明者の家族たちは、この公園のように人が集まる場所にチラシを貼るだけではなく、市内じゅうの病院を一軒一軒しらみつぶしにあたってみたり、街の様子をリポートしに来た地元テレビ局のクルーに頼んで、テレビを通して視聴者に情報提供を呼びかけたりしている。政治家などが街の視察に訪れると、多くの家族が集まった。クリントン前大統領が訪れた際も多くの人が彼の周りに集まり、前大統領は自らへのインタビューを早めに切り上げさせ、代わりに集まった家族をテレビカメラの前に立たせていた。
ユニオン・スクウェアの掲示板には、もちろん日本人やアメリカ以外の国籍の人たちの写真もあった。世界貿易センターでは様々な国籍の人たちが働いており、事件による被害者はアメリカ人のみならず、約60ヶ国にも及ぶ国々の人々が巻き込まれたという。街ゆく人々がこの公園を訪れ、貼られた写真の一枚一枚に悲痛な面持ちで目を通し、花をたむけて行く。今回の事件はアメリカ特有の問題ではなく、たまたま起こった場所がアメリカだったということを思い知らされた。
次に目に入ったのが、パーク街の通りに面した公園の入口近くの広場だった。円状になった人垣をかき分けて入って行くと、そこには人々が手向けた花束やロウソク、星条旗などの飾りでうめ尽された、直径10メートルはあろうサークルになっていた。
「反対側にいる皆さーん、私の声が聞こえますかぁ?」
 市民団体のリーダーと思しき女性が、サークルの対岸から私たちのいる方向に向かって話しかけてきた。「これから被害に遭われた方々とその家族や友人、そしてここにいる私たちを含めた世界のすべての人々のために祈りを捧げましょう。隣の人たちと互いに手をつないでください。」円を形成している人垣が互いの手を取り合い、輪になって唄い出した。ここに集まった人のほとんどが心に何らかの傷を負い、その様子は互いの傷を癒すぬくもりのようにも感じられた。
その一方で、復興に向けた人々のエネルギーといったものも感じられた。 公園の中心部では人々が雑然と集まっており、今後のアメリカの歩むべき道について互いの意見を述べ合い、議論を交わし、いつのまにか集まった聴衆が時折拍手や喚声を上げていた。
歩道の側にはボランティア団体が援助物資の受付をしており、集まった人たちに向かってハンドマイクで寄付を呼びかけていた。そのボランティア団体によれば、彼らの集めた物資は行方不明者捜索にあたるレスキュー隊員などに提供されるものが多く、医薬品、食料品、ドリンク類、そしてタバコの提供を求めていた。
さらに私は、前日から立ち入り禁止区域が削減されたので、世界貿易センターの現場にできるだけ近づいてみようと思い、再び6番線に乗って終点の市役所前で下車した。地上に上がると、恐らくビルの瓦礫から出たものであろう埃のにおいが私の鼻をついた。徒歩では立ち入れるものの、一般車両の通行は規制されているらしく、通りを行き交うのは警察や軍、工事関係の車両や重機、そして大量の瓦礫を運ぶダンプカーだけだった。
しばらく歩くと軍のチェックポイントがあり、そこが一般人の立ち入れる限界であった。それでも貿易センタービルがあった場所まではあと数ブロック、目と鼻の先である。本来、ふたつの高層ビルがあった方角を見上げると、ぽっかりと穴があいたように青空が見えた。ニューヨークに秋を告げる青空に、倒壊現場から立ちこめる煙がかかっていた。ここにも若干ではあるが市民が集まっており、現場での作業を終えた関係者が戻ってくる度に、沿道からは惜しみない拍手が送られていた。
いまニューヨークは少しずつではあるが、復興に向けて確実に歩み出している。しかしその一方で、貿易センターの現場での救助活動は依然として難航しており、いまも5千人近くの人たちが行方不明となったままだ。9月11日のその瞬間から、行方不明者やその家族たちにとって時間は止まったままなのだ。 (了)
Text and Photo by Yoshi Niikura
   
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